木に生るコラム(10)電車に乗る風景

満員電車

電動車いすで電車に乗るためには、駅員に電車とホームの間に鉄板の渡し板を敷いてもらわなければならない。その時の、他の乗客の表情がおもしろい。

ちょっとした都会の駅ならば、ホームには電車の入り口の停止線が描かれていて、乗客はそれに沿って並んで待っているけれど、田舎の駅では、そうはいかない。本数が少なく車両も短い普通列車が到着するたびに、待合室やベンチから入り口を追いかけるように乗客が流れる。早く入って座席を確保しようというわけだ。

入り口が開き乗客が乗り込もうとすると、鉄板を持って待っていたホームの駅員は、それを渡すために乗客の流れを止めようとする。「すみませんが他の入り口から入ってください」と言葉にすることもある。しかし乗客は一様に「電車に乗ろうとする自分を、なぜこの駅員は妨害するのだ」という顔をして、無理やりにでも乗り込もうとする。ほんの2メートル後ろにいる車いすの人間と、駅員の持つ鉄板の結びつきを瞬時に理解できる乗客は、ほとんどいない。学生も、おばさんも、お年よりも素直に迷惑顔か困惑顔をおもてに出す。

どうにか駅員が鉄板を敷き、それでも入ろうとする乗客に続いて車いすを入り口に進めると、そこで全員に合点の表情が浮かんでくる。「なんだ、おまえも電車に乗るのか」という顔、「え!そんな車いすで電車にのっていいの?」という驚き。あきらかに駅員に行く手を阻まれたおばさんが「そうね、この人から乗せてあげなくちゃ」という物分りの良さそうな言葉を発することもある。

ここにあるのは、おそらく経験の差なのだと思う。一度でも車いすの乗り込みに遭遇していたら、最初から別の乗車口を目指すだろうし、くるくると表情を変える必要もない。だけど、それだけでは済まない人間の性質みたいなものが見えてくるのも確かなのだ、と言い切りたくなる部分がある。

早く電車に乗って座りたいと思う人間の目には車いすの人間は見えていない。見えてはいるけれど、同じ電車に乗る人間として意識されてはいない。必要とされる配慮が云々されるのではなく、それ以前に存在が認められていない。こういう場面が他にもあるような気がする。

ただ、駅員の働きと鉄板の存在と少しの度胸で、今のところ車いすで電車に乗ることに何の不都合もない。車内に落ち着いても迷惑顔で睨まれたり、好奇の目を向けられ続けることがあったとしても、それもまた楽し、なのだ。そんな人が車いすの前輪で靴の先を踏まれるなんて「事故」が起こらないとも限らないけれど。

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