ユニバーサルな道具たち(2)やっぱり風呂が好き

バスルーム

風呂が好きである。おそらく日本人の中で「私は風呂が大嫌いで」と挨拶できる人間は少ないに違いない。家庭風呂はともかく、銭湯、温泉、露天風呂とあげて、広い湯船で手足を伸ばすあの安堵感は、何物にも代えがたい気さえしてくる。お年寄りならずとも「極楽、極楽」と定番の言葉を吐きたくなってしまう。まさしく一日一回の「癒し」だ。

ところが、そんな愛すべき風呂であるが、見方を変えるとたちまち危険がいっぱいの要注意ゾーンに変貌してしまう。脳にせよ心臓にせよ、急激な温度変化は命に関わる疾病の引き金になりやすいし、濡れた床は転びやすく、また残したお湯での幼児の事故も常に注意していなければならない。この風呂の合わせ持つ明と暗の違いは特別だ。

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ユニバーサルな道具たち(1)車椅子でお墓参りをすること

日常的に車椅子を使う人たち

日本は気候的にも文化的にも四季の区別がはっきりしていて、生活の中で、それぞれの季節にあった営みが繰り返されています。それは春の花見、秋の月見に代表される衣食住すべてに関係する社会のイベントです。日本でのユニバーサル全般を考える時、この季節のイベントへの参加を抜きにはできません。そして、お墓参りもその一つです。

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木に生るコラム(10)電車に乗る風景

満員電車

電動車いすで電車に乗るためには、駅員に電車とホームの間に鉄板の渡し板を敷いてもらわなければならない。その時の、他の乗客の表情がおもしろい。

ちょっとした都会の駅ならば、ホームには電車の入り口の停止線が描かれていて、乗客はそれに沿って並んで待っているけれど、田舎の駅では、そうはいかない。本数が少なく車両も短い普通列車が到着するたびに、待合室やベンチから入り口を追いかけるように乗客が流れる。早く入って座席を確保しようというわけだ。

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木に生るコラム(9)ここにもある楽しみ

ITを使う

とうとう我が家のパソコンに届く一日のメールの量が150通を超え、時には200通を超えることも稀ではなくなった。こうなると読むのも大変、簡単に2,3時間を費やしてしまう。そこには大事なメールもあるけれど、スパムメールも大量に届く。おおよそだけど、三分の二はその場で削除してしまうかもしれない。これだけで考えれば、ほんと、時間の無駄だ。

こんなにメールの量が増えてしまったには、やはり原因がある。一つは、いわゆるポイント付のメールやクジ付のメールを多く登録していること。実は、はたして働けない障害者がこれだけで小遣い稼ぎができるだろうか、という個人的な実験的興味で始めたのだが、めいっぱい登録しても年に一万円程度にしかならず、通信費にも満たないことが分かっている。時間の浪費だからそこで止めればいいのだけれど、未だに止められないでいる。

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木に生るコラム(8)補助犬法と「その手の人間」

ダメです!

障害のあるなしに関わらず「その手の人間」というのはいるもので、時に、絶大な悪影響を及ぼしてしまうから恐ろしい。

伊勢の内宮に「おかげ横丁」という人気のスポットがある。昔の町並みを模した一帯で安くて旨いものが食える。入場料なんてないから、ブラブラ歩くだけならすべてタダ。ただし、昔の建物の再現だから、ものを食う場所にしてもどうしても座敷が多くなってしまう。なかには、座敷だけの食い物屋だってある。

最近、このおかげ横丁に盲導犬を連れた「その手の人間」が現れたらしい。

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木に生るコラム(7)慣れと変化

ハートの木

まずは漢字の話から。
そう、「話」の話なんです。

「話」という漢字、単独の名詞で使われる時は「し」という送り仮名は付けてはいけない。「君の話は長い」であって「君の話しは長い」ではない。少なくとも自分はそう習ったし、プロの作家はこのルールはちゃんと今も守っている。

ところが最近、このルールが堂々と破られるようになった。

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木に生るコラム(6)明日も電車に乗って

ホームに入ってくる電車

不思議なことがある。
地元の私鉄電車に車いすで乗れるようになってから大分時間が経つと思われるのに、同じ路線を走るJRでは一向にその気配がないことだ。車両に乗るどころか、駅舎に入ることさえままならない。

たいそうな書き方をするなら、市場経済原理では一方が新しいサービスを始めたなら、他方もそれに追随して競争するのが同業種間では当たり前だと思う。それをしない企業は、遅かれ早かれ衰退する。

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木に生るコラム(5)できること・できないこと

NO!

数年前、「ボディガード」というケビン・コスナーとホイットニー・ヒューストンが出演した映画があった。わがままな歌手を雇われガードマンがガードするという単純なストーリーだったけれど、なぜか波長が合ってしまってビデオで10回近く見るというお気に入りの一作になってしまった。

この映画の中に、あまりのわがままさに男がガードをやめると言い出し、自分の子供にまで危害が及ぶと知った歌手が、もう一度自分たちをガードしてほしいと頼む場面がある。歌手は言葉を重ねるけれど男は“can’t”と答えるばかり。ここでの字幕が面白かった。英語は同じだけれど字幕は「できない」「無理だ」「だめだ」と違っている。

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木に生るコラム(4)ボランティアと障害者と自己満足と

ごめんなさい。理由は…最後まで読んでね。

基本的には、何をするにしても、結果について自分で満足できるものなら、まわりになんと言われようとも、それはそれでいいのだと思う。特にボランティア(的精神)なんかを語る場合には、この自己満足は大切だ。世渡り上手を自認する人になんと言われようと、わが道を行けばいい。ただ、ときに自己満足は「ひとりよがり」と呼ばれることとも紙一重になる場合もある。

先日、メールでこんなニュースを読んだ。
ある映画監督が、神戸での大震災の際、現地で車いすに乗った障害者が盛んに連絡を取り合っているのを見た。何かと思えば、脳性麻痺で重度の障害者が家庭や施設を出て介助者を利用しながら独居している、その安否を確認しているのだという。なぜ家庭や施設を出たがるのか、不思議に思った監督が調べてみると、「脳性麻痺は50歳までしか生きられない」という通説があり、それが彼らの背中を押して一人で生活するという「自立」に向かわせていた。それに感動した映画監督はその姿をカメラで追ったのだという。

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木に生るコラム(3)神の顔 その2

 

神社の鳥居

人間の心理には嫌なことは忘れて解決するという仕組みもあるというけれど、この憤怒ばかりは収まりそうもない。あまりに一方的過ぎて、納得できるだけの詳細な事情も分からない。とりあえずは別の人の説明を聞きたくて神宮司庁に電話をしてみることにした。ところがこれがまた、活火山にマグマを送り込むような返答しか返ってこないのである。

電動車いすで中へ入れてもらえなかったと言うと、内宮ですか外宮ですかと聞き返す。外宮だと言うと、おかしいですね、内宮なら入れますよと言う。

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