木に生るコラム(5)できること・できないこと

NO!

数年前、「ボディガード」というケビン・コスナーとホイットニー・ヒューストンが出演した映画があった。わがままな歌手を雇われガードマンがガードするという単純なストーリーだったけれど、なぜか波長が合ってしまってビデオで10回近く見るというお気に入りの一作になってしまった。

この映画の中に、あまりのわがままさに男がガードをやめると言い出し、自分の子供にまで危害が及ぶと知った歌手が、もう一度自分たちをガードしてほしいと頼む場面がある。歌手は言葉を重ねるけれど男は“can’t”と答えるばかり。ここでの字幕が面白かった。英語は同じだけれど字幕は「できない」「無理だ」「だめだ」と違っている。

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木に生るコラム(4)ボランティアと障害者と自己満足と

ごめんなさい。理由は…最後まで読んでね。

基本的には、何をするにしても、結果について自分で満足できるものなら、まわりになんと言われようとも、それはそれでいいのだと思う。特にボランティア(的精神)なんかを語る場合には、この自己満足は大切だ。世渡り上手を自認する人になんと言われようと、わが道を行けばいい。ただ、ときに自己満足は「ひとりよがり」と呼ばれることとも紙一重になる場合もある。

先日、メールでこんなニュースを読んだ。
ある映画監督が、神戸での大震災の際、現地で車いすに乗った障害者が盛んに連絡を取り合っているのを見た。何かと思えば、脳性麻痺で重度の障害者が家庭や施設を出て介助者を利用しながら独居している、その安否を確認しているのだという。なぜ家庭や施設を出たがるのか、不思議に思った監督が調べてみると、「脳性麻痺は50歳までしか生きられない」という通説があり、それが彼らの背中を押して一人で生活するという「自立」に向かわせていた。それに感動した映画監督はその姿をカメラで追ったのだという。

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木に生るコラム(3)神の顔 その2

 

神社の鳥居

人間の心理には嫌なことは忘れて解決するという仕組みもあるというけれど、この憤怒ばかりは収まりそうもない。あまりに一方的過ぎて、納得できるだけの詳細な事情も分からない。とりあえずは別の人の説明を聞きたくて神宮司庁に電話をしてみることにした。ところがこれがまた、活火山にマグマを送り込むような返答しか返ってこないのである。

電動車いすで中へ入れてもらえなかったと言うと、内宮ですか外宮ですかと聞き返す。外宮だと言うと、おかしいですね、内宮なら入れますよと言う。

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木に生るコラム(2)神の顔 その1

お祓いをする神主

先日、いい天気に誘われて、伊勢神宮の外宮を訪れてみようという気になった。

地元で暮らすものの常として、ご多分に漏れず、新年に限らず入学式・卒業式、病気の全快、新造船のお祝いなどなど、節目の行事には神宮参拝が恒例となっていた。特に、20歳台からは友人の勧めもあって、毎年1月の都合のいい日に一人で参拝し、その帰りに干支の一刀彫りを買うことを個人的な新年のスタートとしていた。今も、家の床の間には20体近くの一刀彫りが並んでいる。それほどに生活に密着した行事のはずだった。

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木に生るコラム(1)幸福の起源

幸せは人それぞれ

学生時代に「幸福起源」というショートショートを書いたことがあります。

道端の石は「こんなジッとしているのは嫌だ。なんとしても生き物にならなければ幸福になれない」と思い、ネズミは「こんなちっぽけな生き物は嫌だ。大きな生き物じゃないと幸福になれない」と思い、象は「こんな人間に追われる生活は嫌だ。人間じゃないと幸福になれない」と思い、サラリーマンは「毎日こき使われるのは嫌だ。どうせ生きるんなら社長にでもならなければ幸福になれない」と思い、ある社長は「こんな会社の雑用のような仕事に能力を使うのは嫌だ。どうせなら一国の大統領になって能力を最大限に使わなければ幸福にはなれない」と思い、大統領は「こんなに毎日他人の生死を決めるような決断ばかりするぐらいなら、わたしは道に落ちている石ころにでもなってしまいたい」と思う。こんな他愛もない内容だった記憶があります。

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パーソナルバリアフリー宣言(3)逃げるためのバリアフリー

災害時の避難場所

テレビや新聞のニュースなどを見ていると、訓練であるにせよ、本番であるにせよ、試行錯誤ながらも避難の方法がさまざまに考えられているようにも思えます。

しかし、それらは逃げられる人の方法でしかない。逃げられない人のことまで及んでいるように見えて、実は、逃げられる人の方法に無理やり、逃げられない人を当てはめようとしているに過ぎない。

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パーソナルバリアフリー宣言(2)パーソナルバリアフリーのすすめ2

非常口へ

このパーソナルバリアフリー、見方によって二つの面を持っている。「楽なモノ」を受け取る側と、それを提供しようとする側だ。単純にスケールを変えて、消費者と生産者として考えてみてもいい。パーソナルバリアフリーを推し進めることは、この両者にとって都合のいいことになる。

これは簡単にシュミレーションしてみると分かりやすい。

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パーソナルバリアフリー宣言(1)パーソナルバリアフリーのすすめ

ニーズは様々

世間を見渡せば、と、そんな大げさに書かなくてもいいんだけど、バリアフリーという言葉も定着し、ユニバーサルという言葉も、どこぞやの遊園地の影に怯えつつも、ユニバーサルデザインという形で伝播して一つの流行となろうとしている。世の中、便利なモノが増えて万々歳、こりゃ楽に生活できるわいなどと素直に喜びたい気分にもなる。

ところがである、そんな素直な心を持ち合わせない生活者もここにはいる。どんなにバリアフリーで段差がなくなろうとも、スーパーのあらゆる商品がユニバーサルデザインで統一されようとも、しんどい生活を強いられることに変わりはない。実際に「楽な生活」なるものが生まれたら、もとより障害者とか高齢者などという言葉は死語となるはずだが、それはないと断言できる。

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野菜が食べたい(7)何は無くとも一本サラダ

洗い立ての野菜
洗い立ての野菜

仕事しながら、頑張って料理してくれる元コックですが、どうしても料理できないこともあります。
そんな時に出番を迎えるのがニンジン・ピーマン・キュウリです。
これなら一年中で回ってますし、青菜ほど気を遣わずに洗えますから、娘に任せても安心です。

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