パーソナルバリアフリー宣言(1)パーソナルバリアフリーのすすめ

ニーズは様々

世間を見渡せば、と、そんな大げさに書かなくてもいいんだけど、バリアフリーという言葉も定着し、ユニバーサルという言葉も、どこぞやの遊園地の影に怯えつつも、ユニバーサルデザインという形で伝播して一つの流行となろうとしている。世の中、便利なモノが増えて万々歳、こりゃ楽に生活できるわいなどと素直に喜びたい気分にもなる。

ところがである、そんな素直な心を持ち合わせない生活者もここにはいる。どんなにバリアフリーで段差がなくなろうとも、スーパーのあらゆる商品がユニバーサルデザインで統一されようとも、しんどい生活を強いられることに変わりはない。実際に「楽な生活」なるものが生まれたら、もとより障害者とか高齢者などという言葉は死語となるはずだが、それはないと断言できる。

簡単に言えば、いくらバリアフリーが浸透しても世界から階段がなくなることはないし(なくなれば、それはそれでものすごく不便な世界だろう)、あらゆるモノがユニバーサルデザイン化されるわけがない(デザイン化されないからこそ存在意義のあるモノも多くある)。つまり、生活のあらゆるシーンを「楽なモノ」で埋めることは、もともと不可能なのだ。

ならば、バリアフリーとかユニバーサルデザインを目指すことはまったく無駄なことなんだろうか。これも一発回答で答えはノーだ。
「楽なモノ」が増えるに越したことはない。というより、やはり「楽なモノ」は大いに増やしてほしい。大事なことは「自分にとって」楽なモノとそうでないものを見分けることであり、その楽なモノの間を泳ぎきる方法を身に付けることなのだ。

実はこの方法、旧態依然のいわゆる「バカな障害者や高齢者」では身に付けることができない。いや、言葉を変えよう。今まで多く存在した受身で福祉の名のもとに下げ渡されるモノだけをありがたがる障害者や高齢者には不向きな方法だ。自分で情報を集め、自分で判断し、ほんとうの意味で自分に必要な「楽なモノ」を見つける意志を持った人間じゃないと実践できない方法だ。

名付けてこれを「パーソナルバリアフリー」と呼ぼう。

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